[TVデイリー ユン・ジヘ コラムニスト 2014.09.29(月)18:48]

夫の昔の女が友達で訪ねてきた。 低級に感じられるほど、普通のマッチャンドラマでしばしば使われるこの構造を、MBC週末ドラマ<ママ>(演出キム・サンヨプ、脚本ユ・ユンギョン)が新しい姿で登場させた。
<ママ>の二人の女主人公、ハン・スンヒ(ソン・ユナ)とソ・ジウン(ムン・ジョンヒ)は“妙な”関係だ。 二人の女の間に置かれたムン・テジュ(チョン・ジュノ)という一人の男を指してする話ではない。 <ママ>が出したこの関係が、妙になる地点は別にある。
まさに、スンヒとジウンが心からお互いを“友達”と感じているという点。 たとえスンヒがそれまで隠してきた真実が現れて、現在二人の間はすれ違っているが、相変らず異性間の仲よりもっと濃い切なさを交わしている。
この世で友達になることは出来ない間がある。 痴情関係に絡んだ人々、友達なら心を遠慮なく取り除いて人生の喜びと悲しみ、苦痛を分けるべきなのに、お互いが苦痛の根源地だなんて。 聖人君子でなければ、あるいは俗世を離れることを決意した人でなければ、どうして心の胸襟を合わせておくことができようか。
その上、スンヒは意図的にジウンに接近した。 自分と息子グル(ユン・チャニョン)の存在が、ジウンにどんな悲劇を抱かせるのか知りながらも無慈悲に近付いただけでなく、ジウンの純真な心までしっかり勝ち取った。 このように複雑に絡まった人間関係くらい、人々の興味を刺激させるものが、またあるだろうか。 私たちは、このような素材を持って展開するドラマを、普通“マッチャンドラマ”と言う。
考えてみよう、朝ドラマや連続ドラマでたくさん見た場面ではないか。 だが、面白い事実は、元々視聴者たちに<ママ>は“マッチャンドラマ”と見なされないという点だ。 ドラマに対する関心度を高めるには一助となったかも知れない。 だが、ドラマ全体を貫くイメージで残ってはいないということだ。
<ママ>は、どうして“マッチャンドラマ”という汚名を避けることが出来たのか。 絶妙にも、その解答はスンヒとジウンが結んだ“妙な”関係の中にあった。 すなわち、スンヒとジウンは、本当に友達になることが出来るか、この問いに対する答と連結されていると見られる。
死を控えなかったなら、スンヒは多分一生ジウンのそばに少しも近寄らなかっただろう。 自分を捨てた男の妻ではないか。 不意に訪ねてきた死の便りは、彼女を煩わしくきつくさせた。 自分のように独りで生き延びなければならない息子グルが、近づく肉体の苦痛よりもっと苦しく鳩尾に詰まっていたせいだ。
初めは、このように始まった。 スンヒがジウンに渡した話のように、絶対友達になれない間柄だった。 だが、何も知らないまま、ひたすら渡されるジウンの温みは、愛を受けるかも与えるかも知れなかったスンヒのヒリヒリする心を溶かし出しただけでなく、ママをとても愛したあまり歪んでいたグルの心も本来の姿に変えた。
ジウンも同じだった。 条件だけを問う友達関係の中で、いざ大変な時に頼りに出来る丘【(頼れる)場所や人】はなかった。 だが、スンヒは違った。 単純に巨大な丘になってくれたからだけではない。どんな範囲内のジウンでない、“ソ・ジウン”自体としての価値を、瞬間ごとに高める友達だった。 これだから、白馬に乗った王子様に会ったように、スンヒにすっかりはまるしかない。
作家は、このように危険な土台の上にスンヒとジウンの友情を最大限に積み上げた。 それも真実の形で。どんな物質的な助けの受け渡しがない、心をやりとりする過程を具体的に描くことによって、後で二人の女が迎える危機が安っぽい痴話げんかで綴られないように、それでもロマンチックだけでもないように作り出した。 非常に機敏な作業に違いない。 このために単なるマッチャン要素が、作品の主題の実現のために必要な、ある程度の高級な装置に昇華されることが出来たから。
パンドラの箱が開かれてスンヒが最も苦しんだ理由は、他でもない“友達”ジウンが受けた傷のせいだった。 グルを任せる所を失ったせいではなかった。 ジウンもまた、スンヒが夫の女だったということより、“友達”スンヒが自分を“騙した”という事実に、そのように怒って苦しがった。 二人は、すでに本当に友達になっていた。
ある一つのドラマがマッチャンドラマになる場合は、刺激的な状況設定、あるいは複雑に絡まった人間関係、すなわちマッチャン要素、それ自体が素材であり主題である時だ。 興味をかきたてることはあるが、劇中の人物に心を与えて共感してついて行くのは大変だ。 作品全体が追求しようとする特別な主題があるのではないので、(たとえ抱き合わせて売る、格別効能のない薬のように勧善懲悪という主題が付いて回るが)、可能性が不足する時が頻繁にあるせいだ。
ややもすると、華やかに飾られた“マッチャンドラマ”で残ることもあった。 だが、この“妙な”ドラマ<ママ>は、二人の女のこじれた関係より、その中に置かれた二人の女の心に集中する真正性ある態度で、“マッチャン要素”の昇華を成し遂げられた。 もちろん、抜群の演技力でスンヒとジウンを作り出した、ソン・ユナとムン・ジョンヒの役割も省けないだろう。“マッチャン要素”という概念を新たに考えてみるようにさせたドラマ<ママ>が、多数のドラマ製作者に良い手本になるように願う。

byどんぶらこ