▽ユナ登場以後<ヨンパリ>になってしまった<THE K2>
[オーマイニュース キム・ジョンソン 16.10.23 14:24]
[レビュー]権力の暗闘で視聴者集めたが、竜頭蛇尾憂慮される
私たちは“映画監督”の名前を記憶して、“ドラマ作家”の名前を記憶する。 映画が監督の芸術なら、ドラマは作家の芸術と見ることができる。 考えてみなさい。 映画で『シナリオを誰が書いたのだろう?』は、そんなに重要な質問でない。 しかし、ドラマでは『作家の名前』が はるかに重要なイシューとなる。 私たちはネームバリューのある有名なドラマ作家の名前を さほど難しくないように羅列することができる。 親愛なるノ・ヒギョンとか、キム・ウニ、キム・ウンスク、ソン・ジェジョン、あるいはキム・スヒョンとか、もしかしたらイム・ソンハンまで・・
それだけドラマで作家の影響力は支配的だ。 それもそのはず、“完成されたシナリオ”を置いて十分な研究の果てに作業に突入する映画とは違って、ドラマは はるかに即興的に進行される。 ほとんど(事前製作を除けば)、全部書かれていない台本を持って撮影が始まる。 そのため終盤には“断片台本”が歩き回ったりもする。 考えてみると とても危険なことではないか? 骨組みと言えるシノプシスが存在して、製作陣の間で ある程度“交感”があるだろうが、結局 作家が『Aは笑って死ぬ』と書けば、直ちに放送を送りださなければならないPDは、そのように撮るしかない。
権力を巡る政・財界の暗闘扱った<THE K2>、開始は良かった
したがって、ドラマを視聴する時は、何より“作家”が誰なのかを細心に見極めなければならない。tvN <THE K2>の話をしようと思ったら、前書きが長くなった。<THE K2>は、結構上手く行くドラマだ。 派手なアクションと権力を巡る政界と財界の暗闘を興味深く描き出して、視聴率は5.646%で10回連続同時間帯(ケーブルと総合編成基準) 1位を記録している。 チ・チャンウクを前面に出して若い世代を説得して、ソン・ユナを通じて中壮年層を魅惑させ、全年齢層から多くの愛を受けていたりもする。
何より、キム・ジェハ(チ・チャンウク)、チェ・ユジン(ソン・ユナ)、チャン・セジュン(チョ・ソンハ)の間に作られた葛藤と緊張感は、視聴者たちを没入させるのに牽引車の役目をした。 有力な大統領選候補である夫チャン・セジュンを大統領にしようと思うチェ・ユジンと、自分の政治的野望のために憎悪するチェ・ユジンと手を握ったチャン・セジュンの関係は、際どい綱渡りをするようにぴりぴりしたし、チャン・セジュンのライバルであるパク・グァンスを除去する“目的”の下に、同じ船に乗ることにしたチェ・ユジンとキム・ジェハの関係も興味深かった。 特に、危機からチェ・ユジンを救って、ぐっしょり濡れた彼女に傘を差した場面(5回)はどれくらい“ぴりっ”としたのか。
ところが、1回からよどみなく追い詰めた“しこしこ”した【噛みごたえがある】進行とは違って、ドラマの核心のキーとして隠されていた“コ・アンナ(イム・ユナ)”が本格的に登場してから、視聴者たちの不満が提起されている。 事実すでに憂慮された部分だ。 まず、イム・ユナの演技力に対する不安感が内在していたし、さらにはアイドル出身演技者に対する視聴者たちの視線がより一層冷静になったためだ。 かえって、コ・アンナの序盤の役割を制限的に設定した部分は、ドラマの吸引力に相当な役に立った。 意図しない“神の一手”と言おうか?
イム・ユナ登場以後<ヨンパリ>になってしまったドラマ
チェ・ユジンとチャン・セジュンのアキレス腱であり、二人の関係を維持させる鍵である“コ・アンナ”の“覚醒”は、ドラマで大変重要な部分だ。 純真無垢で分別がない少女から、母親の復讐のために巨大な戦いに飛び込む成熟した女性に変わる過程で、キム・ジェハとの“愛”は起爆剤として作用(必ず恋をしなければならない理由はないが)する。 愛する人を失ったトラウマを抱いて生きるキム・ジェハを癒す役割までしなければならないのだ。 すなわち、三人の登場人物と全部絡んでいるので、コ・アンナのキャラクターと演技力は、ドラマの成否を左右するくらい大きな比重を占める。
CCTVを通じてコ・アンナの一挙手一投足を監視していたキム・ジェハが、いわゆる“イム・ユナ(コ・アンナを消してしまった)のラーメンCF”を眺めて“愛”に陥る場面(5回)までは、“ときめき”を与えるのに充分だったが、問題は、“コ・アンナ”が本格的に登場する、その後からだった。 冷静に評価しようとすると、イム・ユナの演技力は母親を失って父親にも裏切られたコ・アンナの傷を表現するのに、顕著に不足して見られる。 ドラマの前面に浮上した“メロー”も、ドラマの緊張感と流れを蝕んでいる。
結局、“コ・アンナの復讐劇”に帰結されるものと予想される<THE K2>を見ていると、SBS <ヨンパリ>が思い浮かんだ。チャン・ヒョクリン作家の前作である<ヨンパリ>が、序盤に視聴者たちを引き込むことができた力は、全て“キム・テヒョン(チュウォン)”というキャラクターのためだった。 自らを俗物医師だと言っていながらも、実際には金がなくて治療をまともに受けることはできない患者を生かすために東奔西走する彼の努力に、視聴者たちは自然に陥った。 もちろんチュウォンの演技が裏付けられたから、可能なことだった。 (あたかもチ・チャンウクがそうであったように)
だが、植物人間になって眠っていたハン・ヨジン(キム・テヒ)が目覚めて、ドラマの方向が揺らぎ始めた。 その時から、まさに竜頭蛇尾と呼べるような展開が続いた。 女主人公が、自分を閉じ込めた腹違いの兄さん ハン・トジュン(チョ・ヒョンジェ)に向けた“血の復讐”を計画して、これを実行しようとするという点で、<ヨンパリ>と<THE K2>は非常に似ていて、女主人公が“復讐”の正当性を取得するほどの演技力を備えていないという点も似た形だ。 政治とアクションが噛み合って、社会性が濃厚なドラマという点で似た脈絡を持った二つのドラマは、同じ出発で同じ方向に流れている。
そして“基壇”をよく築いたドラマの“相輪部”は、とんでもない造形物で組まれている。 このような“竜頭蛇尾”は、チャン・ヒョクリン作家の限界であろうか、単純に女主人公キャスティングの問題であろうか。 “コ・アンナ”の比重を減らし、政界の生臭い裏面をもう少し密度を高く暴いたらどうだったのだろうか。 あるいは、チ・チャンウクとソン・ユナの“妙な”ケミに もう少し集中した方が良いんじゃないだろうか? ドラマは山に行って、予告されたが まさかまさかと思った山行に視聴者たちは苦しんでいる。 この流れは これ以上仕方がないと見えるのに、物足りなさは ますます大きくなっている。
byどんぶらこ