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【映画批評】 Citylife第210号 Culture Review ― Movie “ウェディングドレス”

[毎日経済 キム・ジヨン記者 2010-01-04 14:35]
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監督クォン・ヒョンジン/主演ソン・ユナ、キム・ヒャンギ/封切り14日/上映時間109分

新派。 本来は、日本帝国の占領期間に日本から入った演劇思潮だが、この頃はジャンルに関係なく悲しい話で通じる。 もう少し具体的に定義しようとするなら、涙腺を刺激する 多少空々しい話という評価下げの意味を込めている。 日本帝国の下 新派演劇が、主に家庭の悲劇を扱ったためなのだが、家族、恋人など、最も原初的な関係で広がる話は、たいてい定形化されるほかはない。

14日封切りする映画「ウェデイングドレス」は、一言で“新派”の公式に忠実な作品だ。 昨年封切りしてビッグ ヒットした“過速スキャンダル”と対称点に立っていると考えれば簡単だ。

家の反対を押し切って結婚した ウェデイングドレスデザイナー コウンは、早く夫と死別して9歳の娘ソラと共に生きていく。 そそっかしいママと艶がない娘は、正反対の性格だが、世の中に かけがえのない仲だ。

しかし、コウンが胃癌末期宣告を受けて、二人は突然な離別を準備しなければならない。

自身はいざ着てみることもできないウェディングドレスを、自身が逝った後、独りきりで残される娘のために作る若いママ。 特有の気付きで早目にママの病気を知るようになっても、ママを疲れささないように、分からないようにという幼い娘。 娘の赤ちゃんの頃のアルバムを覗き見て涙を落とすママと、ママの願いを聞き入れるために 嫌いだったバレエを学び、男と食べ物を混ぜることができなかった習慣まで変えようとする娘。 あまりにも典型的な設定だが、話だけ聞いても涙が滲むほどだ。

万人が共感する“新派”

「ウェデイングドレス」の脚本(ユ・ヨンア)や演出(クォン・ヒョンジン)は、応用、あるいは変形が不足するという意味で、教科書的だ。 コウンの強固な後援者の兄さん夫婦と敵同士の実の姉さん、コウンの最後のウェディングドレスを完成させるドレスショップの先輩、そしてソラが通うバレエ学院のそばのテッキョン学院の館長に至るまで、登場人物と場面、皆 あまりにも予想可能なだけだ。 ソラが最後にバレエを公演する場面は“ラスト コンサート”を、ラジオにハガキを送って ママに聞かせる場面は“菊の花の香り”を思い出させるようにする形だ。 意外な笑い、あるいは奇抜なアイディアを期待するこの頃観客なら、映画を見る間ずっと何か不足だと感じざるを得ない。

それでも、「ウェディングドレス」を、単によく使われる新派という一言で片付けてしまいたくない理由は、俳優たちの演技にある。 ソン・ユナとキム・ヒャンギの演技は、他の人の感情を伝えるという、演技の最も基本に忠実だという意で教科書的だ。

特にママを失う娘を演技したキム・ヒャンギは、“ママいない空の下”以来、ママを失う子供たちの典型になってしまった“天使の顔”ではないながらも、最も近い存在の死を編み出す、子供の千変万化する感情をそっくり表わす。 ママにわがままも言って嘘もつくが、それでもママを世の中で一番愛する子供。 想像しない死を前に置いて自らを静めて、努めて気をもむ子供の話だ。

キム・ヒャンギの演技は あまりにも涙をよく流したのでなく、とても実感できるように涙を流すという点で、褒めざるを得ない。 ソン・ユナのママ演技も、彼女の演技人生で 最も感情に忠実な、生きている演技ではなかったかと思う。 話がどのように流れるのか皆知りながらも、結局 涙を流すほかはないのは、全面的に2人の俳優のおかげであろう。

元はと言えば、新派が新派であるのは、万人が共感できる感情を含んでいるためだろう。 話を含んでいる関係はもちろんで、主人公の境遇や状況に対する理解も 特別な努力なく誰でも可能だ。 キャラクターに対する感情移入が、最も強力に成り立つジャンルが新派と言うなら、「ウェディングドレス」は確かに新派で合っている。 映画を見た後にも、コウンとソラ母娘の涙が長らく心に残ったから。

byどんぶらこ
by yoonaroom | 2010-01-09 18:48 | Comments(0)