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2004年インタビュー <Doc&Star> 前編

2003年4月でも、ユナさんと大きいお兄さんのインタビューを載せた『Goodmorning DOCTOR』が、1年半ぶりに二人にインタビューした時のものです。 『香港EX』出演が発表される2ヶ月ほど前の2004年10月号です。

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▼Goodmorning DOCTOR [2004年10月 44号] < Doc&Star

知れば知るほど知りたい兄と妹に会う ≪ソン・ビョンホ(未来耳鼻咽喉科)院長&映画俳優ソン・ユナ≫

親しい兄と妹に会う。1年半ぶりだ。ところが、この二人との出会いでは 時間の流れを捜す事が出来ない。あまりにも完璧に見えて、かき分けて入れるかどうか分からなかったが、一緒にしながら いつのまにか相槌を打っているなんて。

この二人には 香ばしいコーヒーの香りが感じられる。知れば知るほど暖かい人間味が感じられる二人。秋とピッタリな二人との再会は、そのように始まった。


彼女が笑う。少し近付きにくく感じられる彼女が、柔らかい微笑みを含んでいる。映画俳優ソン・ユナ。他の場所で もう二つの写真撮影を終わらせてスタジオに入ってきた彼女。「この頃休んでいます。」という表現が顔負けの忙しいスケジュールで送っている。疲れているはずなのに、彼女は明るく笑って挨拶をかける。疲れないのかという質問に、「いや、このくらいでは」と返事するソン・ユナ。

彼女と二回目の出会いを導いた彼は、まさに彼女のお兄さんであるソン・ビョンホ(未来耳鼻咽喉科)院長だ。忙しいが、お兄さんの頼みだから容易く応じたのだ。

似ている。幼い時は几帳面な二人の性格がもっと似ていたことは当然だ。完璧で几帳面さを感じさせるソン・ビョンホ、ソン・ユナ。学生時代、寝る前に カバンの中に本が揃っていなければ眠る事ができなかったソン・ユナは、今は放送活動をしながら おのずとたくさん丸くなったと表現する。

それならソン・ビョンホ院長は? ソン・ビョンホ院長は、表で見るには相変わらず模範生だ。ソウル大に全体主席で入っていくほど勉強にも優れたソン・ビョンホ院長は、幼い時 ソン・ユナに難しい、完璧に見えるお兄さんだった。

「いつも机に座って勉強する姿だけあったからです。二番目のお兄さんとTVチャンネルで争う時、私どもを酷い目に会わせたのが、ご両親でなく大きいお兄さんだったです。それほど、幼い時には厳しいお兄さんでした。」 そんなに厳しかったお兄さんだったが、歳月が経ち、今は一緒に悩みを分けることができるほど気楽な間になった。

「さあ、撮影に入っていきますよ。」 数十回、いや数百回とカメラの前に立ってみたソン・ユナに 自然なポーズはとても容易い事だろう。ところがソン・ビョンホ院長には 実はぎこちないことに違いない。ところがどうした事か。かなり慣れたポーズが出る。

このように兄と妹が表紙で出るのは初めてだ。楽なポーズが出るのが理解できる。表紙撮影、かなり時間を要する作業だ。ソン・ユナに 撮影後次のスケジュールがあると伝え聞いて、気持ちがせいた。フォトグラファーと表紙モデルは時間との争いに入っていった。

二人、とても忙しくて よく会う事があるか分からないのに(実は、ソン・ビョンホ院長も係わった電話をする時 いつも診療中なので、通話をするのが大変だった。ソン・ユナも忙しいスケジュールは言うまでもなくて)、その会う方法が かなり面白い。もちろん家で時たま見ることはあるが、仕事がある時ならお互いに文字を取り交わす。熱心に文字を入れているソン・ユナを 横で誰かが見たら恋人と誤解することもある。

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惜しいことは再び新しい始まりに

去年の夏、ソン・ユナの顔を映画とTV共に見られた。興行にはあまり成功する事ができなかったが、彼女は鮮やかにもう一度ファンに刻印された。

「全ての作品は惜しさが残るが、惜しさがまた新しい始まりだと思っています。」 実は、俳優において 自分の出現した俳優は子とも同じだ。【これって、「自分の出演した作品は」じゃないんでしょうか?】 十本の指をかんで痛くない指がどこにあるか。

「暴風の中での場合、とても大きい期待と信頼で飛び付いた作品です。それに比べて視聴率が低く出たけど、それでも20%をずっと越しました。 要求も多く面倒も多かったんです。率直に 肉体的に精神的にたくさん大変だった作品です。私も人だから、職業人として欲心がある人だから、私が表現したかった役するのからは距離がたくさん遠かったです。そんな部分でたくさん辛かったことは事実です。でも、熱心にしたんです。そのミソンという女になるために暮らしました。それだけは私に堂々です。」 “暴風の中で”や“フェイス”、自分の選択に責任を負うことができる演技者だ。

映画のジャンルで 彼女は作品選択を仕切りを作らない。それで彼女は、ある時はコメディー映画の主人公で、ある時はホラー映画の主人公で多様に登場した。

「ジャンルを区分するより、時期と縁と私の全ての状況がかみ合わされて映画を選択するようです。シナリオがとても重要で選択する作品があるんです。シナリオが充分でないけど、監督様に信頼が行って選択したりするんです。私と息を合わせる俳優を逃したくなくて作品に飛び込んだりします。」 その代表的な例が光復節特赦だった。光復節特赦のシナリオだけでは彼女がする理由がなかった。二人の男演技者に比べて 相対的に比重が少ない役だったから。ところが彼女は、映画を撮影しながら 監督や仲間の演技者たちから俳優的な根性を学ぶ事が出来た。

彼女は笑いながら言う。「本当に理解できないです。私が審査委員なら絶対賞を与える事が出来ない役なのに、私がその映画で賞を全て受けたんですよ。」

(後編につづく)

byどんぶらこ
by yoonaroom | 2007-10-04 19:03 | Comments(0)