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COSMOPOLITAN 2010年1月号 STAR STORY /3年ぶりにスクーンに帰ってきた俳優ソン・ユナ

[2009-12-21 午後2:55:57]

映画<ウェディングドレス>で3年ぶりにスクリーンに帰ってきた俳優ソン・ユナに会った。 ときめきよりは安らかさが、緊張より超然さがにじみ出る彼女との対話は、インタビューと言うよりは あたかも一つの禅問答のように感じられた。人生が一層安らかになったと言う彼女。ただ15年目俳優の貫禄という言葉だけで説明することは出来ない何かを、彼女はすでに体得したのか?

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実は、今日ユナさんが着る衣装のために会議をしながらスタッフたちが悩みをちょっとたくさんしました
まあ!なぜですか?

どんな服でスタイリングしても、スタッフたちが望む全体的な画譜のコンセプトが表現されるのでなく、そのまま“ソン・ユナ”という女だけ見えそうだという一種の恐怖があったようです。何を着てもソン・ユナらしく消化してしまう、そのようなこと?何でしょうか?うーん、ソン・ユナのパワー?
はは、パワーって・・・ うーん、私が思うのに、それは多分 人事性【礼儀をわきまえた】コメントのようですが?それだけ変身できないということだから。事実 そんな部分が私に短所として作用すると考えた時期も、確かにありましたよ。でも今は、それを短所だと考えなくなりました。私の胸中に余裕ができたのでしょう。私が考える方向と意図のとおり仕事をしても、その方向と意図が面目を失う程 限界にぶつかる感じを受けたことも、本当に多かったです。こういう画譜撮影をする時も同じことでしょう。画譜撮影をした経験があまり無くて、無条件に避ける時もあったけど、今はこういう撮影も心安らかにすることが出来るようになりました。私はモデルでなく、そのまま一人の人間で、女で、演技者であるから。いずれにせよ、以前よりもう少し安らかに、こういう撮影を楽しむことが出来るようになったのでしょう。

事実 大衆や言論は、“AはBだ”このような形で対象を確かに規定するのを好むものですから。デビュー以後に、悪女キャラクターから酒場の酌婦、キャバレーダンサーまで、本当に多様な役を受け持ったのに、“ソン・ユナは知的でたおやかな女”という先入観のために、イメージ変身が簡単でさえなかった感じがあります。厳格な教育者の家で育ったというデビュー序盤の記事のためだったかも知れませんが。
そうでしたよ。どんな役をしても同じイメージに見られるから、一言でドラマチックな変身が上手く出来ないと見るから、それが本当に大変だったんですよ。実は、厳格な教育者の家で育ったという話だけでも、そうです。私の口で「教育者の家の厳しい雰囲気で育ったんです。」と言ったこともないのに、いつの間にかイメージがそのように固まっていましたよ。お父様が教育界にいらっしゃったから、教育者の家の娘というのも確かにふさわしい言葉ではあるけど、とてもその部分にフォーカスが合わされてみたら、私自らも窮屈な面が確かにあったんです。知的だ、たおやかだ、どんな作品をしても、そんな言葉が修飾語のように付いて回るから、私も気づかないうちに、ある瞬間深い苦悶に陥ることになったんです。「あ、知的な人になるために何をしなければならないのか?本をたくさん見なければならないのか?でなければ、大学院に行かなければならないだろうか?」といって。実際に私は大学院も行かなかったですが。

他の見方をすれば、そんなように重ねて被せられていたイメージと画面の中のユナさんのイメージが衝突したのが、昨年のドラマ<オンエア>ではなかったかと思います。新人の時も演技力論議がなかった14年目俳優に、時期はずれの演技力論議は傷になったのも同じで。
その当時に、私は『一体、あの子は なぜ、ああする?』という反応が出てくるということを、すでに察していました。作品に入る前に、すでに作家の方に十分に説明を聞いた部分でもあったんです。少し生意気な解釈かも知れないけど、<オンエア>の“ソ・ヨンウン”というキャラクターが出てくる前まで、韓国のドラマの中の女性キャラクターたちは、男だけ見る清純可憐型でなければ、傷が多くても凛々しいキャンディ型だったようです。ところが、ソ・ヨンウンというキャラクターは、大衆がその時まで一度も見たことも聞いたこともない形態だったでしょう。もし大衆がソ・ヨンウン類のキャラクターに少しでも慣れている状態だったら、『今度はソン・ユナがあんなキャラクターをするんだな』と、もう少し簡単に近付くことが出来たと思います。

ところが、ユナさんがそのように察したのより、大衆の反応がもう少し激しかったのは事実でしょう?
はい、そのとおりですよ。それで事実「私が何か間違ったのではないか」、「もう少し純化して表現しなければならないのではないか」と悩んだけど、すでに放送が始まったし、撮影は6回目を進行中だったから、突然キャラクターの性格を変えるには すでに遅れてしまった状況でした。でも、3回、4回過ぎて、人々がソ・ヨンウンというキャラクターを理解し始めました。本当に奇跡のようでした。

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そのような当惑したことを一度経験したから、もう同じ状況が来ても恐ろしくはないでしょうね。
キャラクターに対する反応、それに対する恐れは、実は以前にもなかったし、今後もないでしょう。もしかしたら、この言葉も生意気に聞こえるかも知れないだろうけど、もし そんな恐れがあったとすれば、私が12年前に<ミスターQ>の悪役を引き受けることもなかったでしょう。その後で<カード>から酒場の酌婦、キャバレーダンサーのような役に挑戦することもなかったんです。<ミスターQ>がとても上手くいって、その年にCFを十幾つかをしている状況で 酒場の酌婦役をすると言った時、周辺では皆狂ったと言いました。単純に綺麗で優雅な役だけをして、大衆に善良なイメージだけで刻印されるのは、私に重要なポイントではないと考えます。言ってみれば、キャラクターに対する恐れから、とても自由な方だったのでしょう。

ところで、この頃画面に映るユナさんの姿を見て、また今日 このように直接会って入る感じは、ユナさんが いつの時よりも安らかに見えるということです。
うーん、本当に不思議ですよ。

ええ?何がですか?
実は、今まで数多くのインタビューをしてきて、記者の方々に、本当にそんな質問をたくさん受けましたよ。典型的なイメージが重ねられて被せられることのために本当に大変なのではないのかという質問です。『ソン・ユナといえば、しかじかなイメージが固定されているので、俳優としては とても良くないようだ。キャラクターで、演技で確実なイメージ変身をするべきなのに、後ろを向いて考えたら そのままそこにソン・ユナが立っていた。こんな現実に対して、ひょっとして不満はないのか』と言う言葉でした。そんな質問をたくさん受けたら、私が考える 不足した部分、雲を掴むようなイメージ、私に対してまだ不満足なものなどに対して、とても長ったらしく並べたりしましたね。 ところが この頃では、最も多く聞く言葉が、たった今言われた その言葉です。以前とは違って、何かが整理されたと見られて、とても安らかに見えるという言葉です。人と人との間の気勢というのは、本当に妙なようです。私に直接会わなかったのに、その気勢が 全部見られる、感じられると言うのだから。自分自身に対するジレンマや自らに対する欲、そんな全てのものが自然に、そして良い方で整理できたようです。本当に幸いなことでしょう。

わ、羨ましいですよ。特別な切欠があったのではないですか?
ある一つの切欠のために こういう変化が訪ねてきたとは考えません。世の中を生きていってみるなら、目の前に明確に現れる結果はあるけど、それが ある一つの原因によって作られるのではないと考えますね。言葉で簡単に説明することは出来ない、複雑で奇妙な条件の総合ということが出来ますね。言ってみれば、それらの総合が、自分自身の中で 良く良く濾過されたと言わなければならないのか?

ユナさんの話を聞いてみたら、とうてい持ちこたえるのが難しいと思える時間が、むしろ それからの幸せな瞬間のために予備された時間ではないかという気がしますね。
はい、そのとおりですよ。今後も生きていく時間が とてもたくさん残っているけど、今まで生きてきた日を あえて顧みれば、そのまま自然になったものはなかったんですよ。良い時間も、大変な時間にも、皆それなりの理由がある。運命的であるのでしょう。俳優の仕事というのもそうです。多くの人々が『なぜ、その作品しましたか?』 あるいは『なぜ、その作品しませんでしたか?』と尋ねるけど、それは理由がありません。そのまま縁なのです。言葉では説明できない、そういったことでしょう。

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話を聞いてみたら、今日のインタビューは何か禅問答のようです。<月間 修行>記者の“今月の得度された方インタビュー”、こんなこと?
ははは、そうですか?

今回3年ぶりにスクリーンに帰ってきた計算だけど、実は 当時の映画<アラン>の広報兼ねたインタビューの時、「じめじめして強い演技をしたい」と言いましたね。ところが、去る3年の間 確実にそんな演技をしたと言うことは大変だと思うんです。
私がそんな話をした時、じめじめして強い演技が一体何かと尋ねる方もいましたよ。ところが、それも私が作った錯覚の中のイメージだったようです。言葉どおり じめじめして強い役でなく、誰が見ても私を俳優と認定することが出来る役が欲しかったんですよ。俳優というのがそうです。今 俳優という職業で生きていながらも、心の底から絶えず俳優であることを渇望する存在ですね。全ての作品が全部 皆大切で、皆切実な気持ちで作るけど、結果をおいて見た時、大衆が思うのに『ちょっと強い』という感じを与える映画があるでしょう。私は そんな映画をしたかったようです。ところが、元々そんな映画に出演の提案を受けた時、さっさと決定を下すことは出来なかったんですよ。迷って断って、また断って、そんな過程が何度か反復されて、初めて悟りましたよ。私は『ソン・ユナは本当に俳優』という言葉を聞きたがって、そのために必要な過程は飛び越えようとしたことを。私が望むイメージだけ頭の中に持って、その上に存在する結果だけを夢見たんですよ。本来そのイメージを作ることが出来る作品やキャラクターには挑戦できなくてです。

そうですね、それは3年前の話でしょう。それで、今はどうなのですか?
私がその時そうしていたと話せること自体が、今はたくさん変わったということを意味します。以前には、誰かが私に『ユナさん、残念です。』、『ユナさんも こんな作品してみれば良くないでしょうか』と言えば、私も一緒になって気に障って、腹が立ちましたね。そういう話に私も共感したからです。でも今は、全くそうではありません。今はむしろ、堂々と このように話せます。私がすることが出来る役割が別にあると思って、私がお見せする部分が別にあると思って、皆さんが私に望む作品やキャラクターは別にありますって。私は、私独りで暮らせる存在ではありません。大衆があるので私があるからです。大衆と共に、大衆に認められて行かなければならない責任ある存在にならなければいけないと考えます。その中でよく発展することが出来るか、それが重要なことでしょう。

一言で、これは“ソン・ユナの成長”と言えますね。どうです、ユナさんに 成長というのはどんな意味でしょうか?
私が、この前 家で荷物整理をして、偶然に小学生のとき書いた日記を見るようになりました。ところが、完全衝撃でした。ほとんど世の中を皆生きたような人間のように文を書きましたよ。その時は、私がそんな考えをしていることを分からなかったけど、そのように予期しない私の過ぎた日の跡を発見して、また他のことも悟ったようです。誰も皆、今 自分が処した状況が一番重要で大切なことをですね。考えてみれば、どんな人も、単に年齢が多い少ないによって相手方を判断できないものでしょう。このように、人生の大切な価値や原則を悟っていくこと、それが成長ではないかと考えます。

今回の映画<ウェディングドレス>の話をちょっとやってみます。ドラマ<オンエア>から、映画<シークレット>に引き続き、三回目でママ役を受け持ちました。以前の他の作品では、ママという役が、ある設定やキャラクター的要素に過ぎない感じがあったとすれば、この映画はママという配役自体でストーリーが始まるのと同じという点が違うことのようです。
はい、それで今回の映画でママの役を演技する時は、前作とは また違う思いでした。そして、そのように考えました。「私がもし、2、3年前にしたとすれば、大変なことになるところだっただろう」という考えです。わずか2、3年前だけでも、私が女として、また俳優として多くの部分で、内的な変化を経る前だったため、もし もう少し早くこの映画に会ったとしたら、私が今回表現したことだけは 絶対表現出来なかったらしいと、気が付きましたよ。もちろん、これから3年頃が過ぎて、私がこの映画を見るなら、恥ずかしいと思うという気がして。

※エディター クァク・ジョンウン

―さらに詳しい内容は、コスモポリタン2010年1月号で確認して下さい。

byどんぶらこ
by yoonaroom | 2009-12-22 00:22 | Comments(0)