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ソン・ユナ“私の人生、私の仕事、全てのことが平穏だった。 感謝する気持ちだけ” [インタビュー ①]

[毎日経済 2009-11-26 10:39]
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たおやかで知的な美しさで、多くの男性ファンたちの胸をときめかせてきた俳優ソン・ユナ。 昨年多くの話題の中で放映されたドラマ<オンエア>を通じて、演技人生のまた他の転換点を迎えた彼女が、映画「シークレット」で“殺人容疑者”役を担って、破格変身を試みる。 ソン・ユナは、“殺人容疑者”に指定される刑事の妻“ジヨン”に扮して、最後の瞬間まで 刑事の夫にさえ話すことができない秘密を大事に収めたキャラクターらしく、一階深くなった眼差しで、今まで見られなかった冷たくて秘密の魅力を現す。

― 心理的に耐えられるのが容易でない痛みと傷を持った複雑な感情の人物を、ジャンル的な枠組み中で機能的に演技しようとすれば、非常に大変だったようだ。

●とても閉じ込められているという感じもして、映画を撮る間ずっと難しかった。 ジャンルがスリラーであることだし、皆現すこともできなくて、皆隠すこともできないキャラクターであったから。 見る人の立場では、“何が難しくて。それほど出てなくて”と、おっしゃれるだろうが、演技する人の立場では、“シークレット”のような作品が とても難しく感じられるので。 ドラマや映画をしてみるなら、そのような時がある。 作品に入る前、その人物に対して ある程度整理できた状態から出発するが、演技をしながら流れる過程の中で、私もそこまで悟ることができなかった感情を感じて、その感情がちょうど引き上げられる時があるのに、この映画は そうすることはできなかった。 ジヨンは、映画が始まる地点から子供を失ったし、その子供を失うことになった理由が夫にあるということを確信する、その全ての状況を抱いて出発するのではないか。 かと言って、劇が流れることによって、この女の感情が一緒に動くようになるものでもなくて。 そのまま必要なだけ、ぽんぽん表現しなければならないから、ジヨンには前後状況がないってことで。 それで、私の中に催眠をかけた。 演技をしながら私が一緒に動かれはしなかったが、一番最初シナリオを読んだ時、ジヨンを通じて感じた部分、また私がジヨンを理解した部分を忘れないで行こうと。

― 色々な状況を考慮した時、ジヨンのキャラクターをドラマ的に解く余裕がなくて、さらにそうだったろう。 実際でも、最終編集本でジヨンの場面がかなり編集されたと。

● 1次編集を終えた時、2時間40分分量だったので、少なくない量が追加編集された。 この過程で、スリラーの緊迫感を高めるために、ドラマ的要素が多い私の出演分量の半分以上が編集されたが、映画の緩急調節のために避けられない状況だったので、一つも惜しくない。

― また、何しろ登場するキャラクターごとに皆 とても個性が強くて、彼らの間で適当な線の存在感を失わないことが容易くなかっただろう。

●本当にそうだった。 ジヨンという人物が、こんなに表わすこともできなくて、劇の中心に こんなに嵌まって隠すこともできないキャラクターなので、何が正しくて 何が正しくないのか、映画が終わる日まで 私を困惑させた。 普通 ドラマや映画をしてみるなら、初めは誰も皆 迷うが、私は特に迷う時間が、他の方々より長い方だ。 その人物と適応する時間が ちょっと必要なケースなので、ドラマが中盤部を走る時ぐらいになってこそ “あ、これから私が出てくるよ”ということを感じて、作品が終る時ぐらいになった時 “何と、私もう分かるようだが”とする。 ところが「シークレット」は、本当に映画が終わる日まで分からなかった。 そんな部分に対する不安さが、私の中にあったようだ。

― 人間の心理や感情を極端に追い込むホラーに比べて、スリラーはその感情を徹底して計算して裁っていく、ジャンル的な枠組みが強くて。 それで“シークレット”は、非常に映画的な映画だったんだろう。

●映画的な映画なので、演技することが さらに難しかった。 他の人々がするのを見れば素晴らしく見えて、お上手に見えるのに、私がしようとすれば なぜか鳥肌出て、そうだったので。 特に、“オンエア”というドラマで日常的なトーンの演技をして、すぐに「シークレット」に入ってみたら、扮装、照明、カメラ、美術まで、全てのものが完璧に構成されている構図の中で、約束されただけ取り交わす演技が適応できなかった。 訳もなくしても、“私とても演技するのではないか” 自らこんがらかったりもして、監督様に心配を打ち明けると、監督様がぴったり一言言ったよ。 “ユナさん、演技して下さい”(笑い)

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― そのように話はするが、ユナさんのフィルモグラフィーを見れば、キャラクターやジャンル的に かなり多彩な歩みを見せてきた。 女優としては、ちょっと珍しいケースだ。(笑い)

●あいまいな人々が出来る、そんな長所があったりする。(笑い) とにかく、我慢する者に福が来ると、今や こういう挨拶も聞くことになる日が来たようで嬉しい。 何日か前 インタビューをするのに、ある記者の方が、私に似た挨拶をされた。私は ほとんど初めて受けた挨拶だ。 活動する10年余りの間、記者の方々に常に、“ユナさんは常に似た作品だけなさいますか” あるいは“ユナさんが持ったイメージを脱皮しようとしないようだ”という質問をたくさん受けた。 そんな質問が度々反復されてみたら、ある瞬間腹が立ったよ。 私をインタビューしにきて、私に対して本当に少しでも知って来られたのか、という気がしたよ。 それで、私というこの子が、とても定形化されたイメージがあったりするが、4年半の無名時代を過ぎて、ソン・ユナという名前をきちんと知らせることになった“ミスターQ”で悪役をしたし、その次 すぐに“ワンチョ”というドラマをしながら同時に、他のドラマでキャバレーダンサーをした。 また“ワンチョ”が終わって、“アドバケット”で女性検事をして、“ホテリアー”では ひょうきん者の気あるホテリアー役をした。 そのように、ず~っと説明をすれば、記者の方々が その時初めて“あ、本当に それぞれ皆違うものをしましたね。 ところが、なぜソン・ユナさんのイメージは、そうなのでしょう?”と反問される。 その理由は私もよく分からないが、私という子自体が作品とは別個に、多くの方々に、女として、あるいは特定イメージで固定化された部分があるようではある。 作品をする間では、作品の中のキャラクターに嵌まってみて、作品が終われば、私がした その役割も全部離れられるのか。 そうして、とてもストレスを受けた時期があった。

― そのため“オンエア”の時は、ユナさんの変身に対する反応が、かなり熱くなかったか?

●個人的に最も感謝したドラマだ。 このドラマをし終えて、15年の間 いつも他の作品をしたが、する時ごとに、少なくとも出来ないという声は聞かなかったが、“今や あんたも他のキャラクターをするね”という言葉を、初めて聞くことになったから。 そうするうちに、記者の方々さえも、こういう話をして下さる時が来たのだ。(笑い)

― 韓国の男性たちの中には、ユナさんみたいなイメージを好む特定ファン層が、いつも位置するのではないか。 特に、同種業界にいらっしゃった特定何人かの持続的なカミングアウトと公開発言が、そんな束縛を作った部分もある。(笑い)

●だから、その方たちが私の実体を分かれば、どれくらい失望されるのだ。(笑い) それで、以前には 本当にストレスをたくさん受けた。 一応 私が“知的な魅力の女優”として挙げられる時ごとに、私をよく知っている人たちは、“あんたのような子が”と言いながら、鼻で笑ったんだよね。(笑い) また私の立場では、私を知的なイメージで見られると、一人で本でもたくさん読まなければならないかと悩みもしたが、また実際に本を読もうとするなら 時間的余裕がよく出なくて、あれこれストレスだけ受けた。 特に、個人的に私という人をよく知ることができない状況で、その方たちが想像することができない小さい断面を偶然に見て、“ソン・ユナ、お前とても見せ掛けだ”のような悪い声が聞こえてくる時もあることで。 もちろん私をよく知ったら、そんな誤解も解けたりするけど、そんな全ての状況を皆合わせて生きることは大変だから。 それでも今は、そんなこんなで一時期を過ぎて、自分自身も一層気楽になった。

― そう見える。(笑い)

●この頃はそんな気がする。 これからまた、どんな難しい状況が近づくかも知れないが、それにもかかわらず、甘受しなければならないという整理が、ある程度立ったと言おうか? こんな話をすれば、ある者は“きっかけは何です”と尋ねられることもできるので、どんなきっかけが確実にあったのではない。 そのまま年を取って行くことによって変わる部分もあるし、しきりに広くなって複雑になる世の中を眺める視線が変わったのかも知れない。 また個人的に、生活の中で心境の変化が起きた場合もあることで。 多分、複合的な理由が入り乱れたことだ。 幸いなのは、こういう変化を通じて、自らに少しは寛大になっていって、自分自身をもう少し治めることができることになったというのを、悟っていきつつあることで。 この頃は、私はそうだ。(微笑)

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― 現場で相手を配慮するスタイルだと聞いたが、自らにはそうではなかったようだ。

●私は本当に、私には悪い子だった。 もちろん自分自身を誰より愛さなければならなくて、また自分自身を愛するが、私にはとても冷静な子だった。 ところが、その冷静さが行き過ぎて、外部的な要因でも損害を被ることになる場合が、たびたびあった。 その冷静さを、私にだけ隠して表現するべきなのに、相手方には、それが虚飾に見えることもあって、謙遜が行き過ぎて むかつかせることもできるのだから。 私は瞬間毎に本気だったし、そのような私の考えから滲み出る行動の結果であったが、そのように誤解を受ける瞬間ができるので。 ところが、それさえも自ら理解される時期が来たようだ。

― 年を取るほど私のエネルギーを調節する方法も学ぶようになるのも同じで。(笑い)

●そうだ。 むしろ小さいことは皆無くなって、大きい或るものを見て行くことになるようだ。(笑い)

― 一度は、チャン・ジン監督がハン・チェヨンという俳優に対して、結婚した後もっと安定的で平穏だった。 結婚以後、俳優でも全てのことが良くなったと言ったよ。 ユナさんは どうなのか? 結婚が持ってきた日常や、俳優としての人生に変化が感じられるか?

●私は思い及ばないで悟ることが出来なかったが、むしろ周辺で そのような挨拶をする。 初めは、そのまま挨拶されるように見えて そうだったが、そのような挨拶を度々聞いてみたら、“本当に自分自身が気楽になったのか?” あるいは“そのまま気楽になる姿を見せるのも良い”という、そんな考えさえするようにさせる部分があるようだ。

― デビューする前、大学時代のユナさんはどうだったか?

●二浪して大学に入ったのは、よくご存知なことだ。 私の専攻が文化人類学だったが、うちの科には男子学生が殆どなかった。 普通 女子学生が多い学科は、浪人生、二浪生も あまりないだろう。 また、特定学科で、人数が小さい学科だったので、先輩後輩関係がとても緊密だった。 特に、うちの科の特性上、科の部屋に全ての資料があって、1学年から4学年まで、そちらを一日にも何度も行ったり来たりしなければならなかったが、同期たちとは遠慮なく無事に過ごしたのに、私より幼かったり私と同い年の先輩たちとの関係では、私が適応が下手だった。 今考えれば、本当に子供たちなのに、その時だけでも大学行くといえば、とても大人であるように振舞ったから。 それで私は、大学通いながらも、ちょっと臆していた。 そのありふれているサークル活動、一度まともにやってみられなくて。そうするうちに、1学年2学期の時から、サブ モデルで広告も撮ってして、2学年に上がる前の冬に、スーパータレントに願書を出して合格して、翌年3月から芸能活動を始めることになったので、学校生活はほとんど出来なかった。 卒業するまで、9年という時間がかかった。

― そうだったか? 今姿を見れば、かなり明るくて人々ともよく似合いそうだが。

●分からない。 今はちょっと変わったが、以前にはそうだった。 小心で前に出ることが出来ない子供だった。 学校通う時、背が高い方であったが、中学校の時までしてもクラスで一番大きかった。 ところが、この大きい身長のためにも気が引けて、常に子供たちと何かを合わせようと、このように頭を上げることが出来ないまま下げて通った。 そのような子だった。 私は。 だから、周辺で、より一層 私が演技者になったことに驚いたし、その時こそ“今の姿 皆見せ掛けだったのか”という誤解も受けただろう。(笑い) でも、私自らは あまりにも切実で切迫して、そのような本音や夢を現して話せなかった。 人がとても切実なら、どうしても言葉にすれば 逃げそうな恐れが生じるのではないか。 そのように中にだけ抱いていた夢が、まさに演技者だったの。

byどんぶらこ
by yoonaroom | 2009-11-29 18:43 | Comments(0)